「おしゃかにする」の言葉の由来知ってます? [個人ネタ]
今日の午前中は、SO-NETさんの定期メンテナンスのため使えず、それをいいことにこの時間までネタ集めに奔走してました。
で、知り合いから先ほど教えて貰ったネタを紹介します。
「おっしゃかにする」
辞書を引けば、物事がダメになること。またはダメになったもの。と書かれています。
結構普段から皆さんも同じ意味で使ってますよね。
言葉の由来も気にせず、失敗したものを「クシャクシャ」にして壊すとか「グシャグシャ」にして一からやり直すとかのイメージで「クシャクシャ グシャグシャ」がいつのまにか簡略され「おしゃか」というようになったのではと今の今まで思っていました。が、
違うんですよ!
「おしゃかにする」の「おしゃか」はあの慈悲深いお釈迦様のことなんです!
ビックリです!
皆さん知ってましたか?
なぜ、そんな失敗やらのマイナスの意味で、畏れ多くもお釈迦様の名前を代名詞代わりに使うのか?
本当にばちあたりですよね。
それも呼び捨てで使っているんですから・・・・尚更です。
で、この言葉の由来がちゃんとあるんですよ。(ご存知の方も多いと思いますが)
昔、鋳物師が、ある村の庄屋の主からお地蔵さまの鋳物を依頼され作ったところ、間違ってお釈迦様が出来上がってしまい、破棄せざるを得なかったところからきている言葉なんだそうです。
確かに注文したお地蔵さまでなくお釈迦様が出来上がったこと自体は、失敗なんでしょうが、その時はこの鋳物師は実際に壊してしまったのでしょうか?
気になります。
僕はできませんね。
そんな罰あたりなことなんか・・・
自分の居間に置いときますけど・・・お供えをして・・。
お地蔵さまも立場に困るのでは?
と考えてしまう自分は俗物なんでしょうね。
何故ジョークをブログに? [個人ネタ]
今日のような爽やかな秋晴れの日は、気持ちも明るくなり、行動も考えも前向になりますよね。
人の気持ちって天候に結構左右されることが多いのではと思うのですが、勿論、それだけで決まるものではないことは十分に承知しています。
ところで、皆さんは気持ちが塞いでいる時、すぐにもキレそうになった時、イライラが最高度に達した時、トラブルがエスカレートした時、周りの雰囲気が重苦しい、暗い、窮屈な時などの場面ではどう対処されていますか?
僕の場合がジョークなんです。
ジョークの同類語にユーモアがありますよね。
辞書などみると、ユーモアとは「品のよい洒落、滑稽」、一方、ジョークとは単に「冗談、洒落」と説明されて、決して「品がよい」とは書かれていません。謂わばストレートな洒落、冗談と解釈してもいいのかもと。
精神科医で作家の故斎藤茂太さんはご自身の著書の中でいっています。
ユーモアには温かみのあるやんわりとした心配りがあり、ジョークには強烈なうっぷん晴らしがある。
前者は、ごく普通の人間関係のなかで効果を発揮するのに対し、ジョークは崖っぷちに立たされた瀬戸際のときに効果を発揮する。
例えば、アメリカ映画やテレビ番組などでよく見られる瀕死の瀬戸際で主人公が言い放つドッキとするような冗談なんかはまさに、ジョークだ。
その場限りだけの心の余裕を見せつけるには、ユーモアよりストレートなジョークの方が、周りに対して効果があるということなんでしょうね。
兎に角、重苦しい、悲壮感が漂っている、暗い窮屈な雰囲気を一掃してしまいたいときに、思いつく限りの冗談、ジョークの一つや二つをサラッと言える人ってなんか人間としての「格」がひとつ違うような気がしませんか?
恥ずかしながら、僕もそんな人間に近づきたいのです。
これは、実際にアメリカであった事件です。
当時のアメリカ大統領レーガンが、暴漢に銃で撃たれ、からくも一命と取り留めた時に、応急処置を施そうとした医師に向かってこう言い放ったそうです。
「貴方は共和党を支持しているかね?」
流石ですね!
ただジョークにはこんな言葉も残されています。
百のジョークは
百人の友と
百人の敵を
つくるとか・・・・
それで結構!
も僕の本音です・・・・。
言語も生物の種と一緒なんだ!? [個人ネタ]
朝、古くから使われている表現の話をさせて貰いましたが、「古え」「言葉」繋がりで、前に「言語」のことで面白い記事を目にしました。
今、地球の温暖化や環境問題等で膨大な数の生物の種が絶滅の危機に瀕していることが、国連や環境関係の国際会議なので問題になっていますが、一昨年前で、新聞だったか雑誌だったかそこらは定かではないのですが、生物に限らず、世界中の言語のうち2500の言語が消滅の危機にさらされている記事を見つけました。
ユネスコの発表では、世界中で使われている言語は6000前後あるそうで、そのうちの2500語が消滅の危機に立たされており、199語に至っては話し手が10人以下だそうです。
既に20世紀の半ば以降、219語がこの世界から消えていまっているとか・・
2年前にアラスカ州イヤック語の最後の話し手の女性が死去したことも関連記事として載っていました。
一つの言語が生き残るには10万人以上の話し手が必要だそうで、そしてある一線を割れば坂道を転がるように減ってしまうのは生き物の場合と一緒であり、生物の多様性ばかりでなく言語の多様性も失いつつあると警鐘を促していました。
ここでフっと思ったのですが、この言語って英語とか日本がフランス語という「お国の言語」ではなく、それぞれの国々のそれぞれの地域で昔から使われている「方言」「訛り」なんではないかと・・・
通信網、交通網の格段の進歩で国と国、都会と地方、地方と地方の時間のバリヤーがなくなってから一番感じるのは「お国ことば、訛り、方言」を耳にすることが少なくなってきているようなそんな気がするのですが・・・
「ビミョー」って微妙・・・? [個人ネタ]
本当に新しい言葉、造語が世の中に溢れ返っていて「意味がわからん」と嘆いているのですが、これも年を取ったということでしょうか・・
高校生になる一番下の娘にはしょっちゅう事あるごとに、「お前何処の国のもんだ!チャンとした日本語話せ!その表現はこんな時には使わないぞ!」と口酸っぱく言っているのですが、相手は私は過去の遺物の「うるさオヤジ」としか思ってませんから、馬耳東風、平気の平左です。(この意味も知っているのか親としてちょっと不安)
で、最近、気になる使い方をされているのが「微妙」という言葉なんです。
テレビの若いタレントのインタビューだけでなく、有識者という範疇で有名な年配のコメンテーターにしてもやたら使っているというか、この言葉が氾濫しているような気がしてなりません。
「ハワイ旅行どうでしたか?」 「ビミョウー」
「今度の役は難しかったですか?」 「ビミョー」
「あの映画どう思います?」 「ビミョー」
「老後、年金は大丈夫なんですよね?」 「微妙」
「議員は、本当に日本の未来を考えているのですか?」 「微妙」
「景気や失業は良くなるんでしょうね?」 「微妙」
日本は本当に良い国になれるんですか?」 「微妙」
等々(挙げるとキリがありません)
ま、タレントさんのヤリトリはともかく、およそ各界の専門家の方々の口からの「微妙」発言から実はハッとしたことが・・
「ビミョー」は今の日本の姿を的確に反映している言葉なんではないかと・・
今はまさに「ビミョー」だらけ。
言葉が荒れているとすれば、世の中が荒れているからそのような言葉を生みだしているのかも知れないと・・・。
結局、私たち大人たちが何事も先送りをして、問題を解決せず、曖昧なことでいっぱいの世の中を作ってしまった結果が「ビミョー」たる言葉が跋扈するに至ったのではと反省している自分がいるのも事実です。
折しも、今は娘の高校の中間テスト期間。
帰ってきた娘に、
私:「テストどうなんだ?」 娘:「ビミョー」
私:「そんな曖昧なのでどうするんだ!できたかどうかはっきり答えろ!」
娘:「なら、聞くけど、パパは父親としてどうなの?」
・・・・・
私:「・・・・ビミョーかな」
自分だけなのかな? [個人ネタ]
この間、大和デパートに行って、エレベーターを載った時に自分のある行動に気付きました。
エレベーターに乗り込む時、また載っている時、つい上方にある階数を示す表示板を見つめてしまうというか見ていることなのです。
そういえば、エレベーターの表示板も何故か相当上の方にありますよね。
なんか見上げて見ているという感じでしょうか・・
考えるとデパートだけでなく高層ビルやホテルのエレベーターの中でも同じような・・・・
これは僕だけなんでしょうかね。やはりおかしいのでしょうか?少し不安です。
皆さんはエレベーターの中では目線とか姿勢とかどんな感じですか?
これと同じようなことかなと思うのが、電車の中ででもです。
本か新聞を読むか携帯の画面を見てしまいます。
でなければ、天井を見上げ、中吊り広告などに目をやたっりします。
あとは寝たふりで目を瞑る。(景色をみると首が疲れます)
絶対に視線を平行にしていません。ましてや対面の人の顔なんてとんでもない!それこそガンを飛ばしているか痴漢かと勘違いされたりしたら大変です。
こんな時も皆さんはどこを見てますか?
なんか心理学的に分析されているでしょうか?